出てもいないのに、タイトルだけで意味無く絶賛テキスト(Aira Mitsuki『Copy』発売について) 

すべてが、まがい物。複製。
 これほど、鮮やかな意思表明はここしばらく見たことが無い。これに意味を求めることも、余計な詮索や突っ込みもするだけ、野暮になる。
 どうして、記念すべき1枚目のアルバムにこの名前を付けたのか?
 何故なら、どうしたってかなわない相手Perfumeがいるからだ。似た様な路線で行けば、誰からも名前を覚えてもらえず「パクリだ」と腐される。
 Aira本人も、勿論そのことは分かっている。彼女のブログを見ると、異常なまでに自分の心象を綴っている語り口が、印象に残る。同世代のアイドルに比べると、ちょっとズレた絵文字の使い方もそうだ。選ばれたシンデレラであり、ある種のエリートであるはずだが、実際には劣等感があるのかもしれない。当事者ながら、他人事のように冷めた視点で書いてる。しかもその文章からは、商売と作者の内的表現欲求とのせめぎあいに苦慮している様子が多少垣間見える。
 ところが、今回発売されるアルバムの通常版と初回版からは、デートピアの狙いがはっきりと見えすぎている。真面目にものを書いているからといって、それだけが全てじゃない。自らの作家性を意見したからと言って、100%反映される訳じゃない。
 彼女にPerfumeよりも別種のいびつな空洞感がするのは、こういうアンバランスな状況と本人の持つ資質の齟齬から来ていると思う。そこが、彼女をギリギリのところで埋没させないようにしている。
 テクノアイドルとしては偽物かもしれないが、『チャイナ・ディスコティカ』の感動は本物だ。
 という訳で、時間短くてもいいからバキバキだけのアルバムになって欲しいと願う次第です。