「渋谷系」

 書くたびに自分のイタサに痛くてたまらないのだが、あえて綴る事で「渋谷系=オシャレ、当時人気があった」という認識をちょっと変えたい。
 どこが渋谷だろう?思春期の頃、ここで括られてた人たちの音源を聞きながらいつもそう思ってた。地方の片田舎で、ウォークマン*1に自作のトラットリアMIXテープを突っ込み、学校まで通学していた自分にはさっぱり分からなかった。カヒミの声で流れていく、何も無い田園風景。チャリで片道40分の学校まで通う時に流れたヴィーナス・ペーター「ローラーコースター」。コーネリアスの「パーフェクト・レインボー」を聞きながら、2時間に1本の電車を待ったりする自分にとって、唯一の退屈を吹き飛ばしてくれる、何物にも代えがたい清涼飲料水という存在だった。また、周りに聴いているという人間はいない疎外感。故に、孤独の象徴だった。
 田舎の子供というと、暖かいとか皆ほのぼのとしているというイメージがあるが、それは真逆だ。自分の原体験で言うなら、田舎は異常に同質化を求めるので、ある種の馴染めない人にとっては大変厳しい場所だ。大人はまた別だと思うけど、子供・思春期の世界では顕著に出る。ある程度の都市と違い、ハブられると逃げ道が一切無いというあの恐怖感は、味わった者でしか分からない。自分は小学校時にいじめたりいじめられたりを両方体験していたし、周りも同様だった。昨日のボスが、何故か今日は無視されるという緩やかで異常な空間だった。自分の地域が、相当変わっていたのかもしれないが。中学校に上がった頃、土地は広いが人間関係は狭いという独特の閉塞感に既にウンザリしていた。だた、幾分賢くなった私は適当にそいつらをやり過ごす事が出来、あるものに没頭していた。それが、「渋谷系」と称されたりする音楽だった。
 電気やオザケンコーネリアスパーフリやエル・アールは友達に「音楽じゃねー」と全否定されていた。そいつらにやっと認められたのは「今夜はブギーバック」という、今にして思えば異常なハードルの高さだった。そんくらい、田舎では人気が無かった。
 渋谷系を知った理由も異常にダサくて、たまたま読んだある雑誌からだ。それは、『FMステーション』。
 中1でエアチェックに目覚めた自分は、近所の本屋の棚で見たのが『FMステーション』だった。今はもう無いと思うが、92〜4年当時、ラジオっ子だった自分はこれを購読していたし、バックナンバーを買う為に編集部に電話した事もある。これで日程をチェックし、リアルタイムで聞いてテープで録音して、また聴くという生活だった。たまたまFMステーションに、ソロデビューしたばかりの小沢健二のインタビューが載っていた。それを読んで衝撃を受け、シングル「天気読み」を買って更にショックを受ける。今までの音楽とは全然違う、と。
 といっても、自分が聴いてた音楽は、チャゲアス・B'z・ドリカム、親父が聴くレッド・ツェッペリンベンチャーズだけだったのだから、勘違いにも程があるのだけども。
 初めてしっくり来る音楽を見つけた自分は渋谷系だけではなく、情報を求めて音楽雑誌の「CDでーた」「B-PASS」「ROCKIT」「GB」までディグするという間違った方向へ走るのだった。
 何故か高校入学と同時に、熱は冷めていた。その頃アフターとも言える動きが始まっていて、フィッシュマンズサニーデイサービスが雑誌に出始めていた。
 あの当時、妙な印象が残った言葉をアーカイブ

*1:ソニーの商品。キン肉マンのレスラーではない