GRAPEVINE新譜の感想テキスト

 新作『Sing』を買って以来、こればっか聴いてる。書きたいのは、これしかないなぁ。相変わらず、略してバンド名を言う人で一杯で、そいつらに対抗するためにまた書く。何回も言うけど、あの略称は本当にきつい。バンド名ももっさいので仕方ないと思うが、臆面も無く書くのはどうかしてる。「髭ちゃん」って言ってる人と同じくらい、寒すぎる。*1また、そういうのに限ってまともな事を書いてないので本当にガッカリする。かといって、自分がまともな事を言ってるかというとそうでもない。以下の文は別に読まなくていいので、iTUNESで『ジュブナイル』『Core』『Glare』のどれかを是非視聴してみて欲しい。
 

新譜は本当に素晴らしいのだけども、これから初めて聴く人達には絶対きつい煮凝であると思う。4つ打ち、ダンサブル、様々な形容詞で語られるバンドが多い中で、彼らの音楽は異質である。21世紀にもなり、古典的なマナーに則って音楽を作る行為は倒錯的ですらある。 
 思えば、『Everyman,everywhere』『デラシネ』以降の彼らの音楽は、どこか時間の停止した世界のように見える。どこでもない場所、いつでもない時間、誰でもない誰かを舞台にした幻想と言っていいだろう。
 では何を、GRAPEVINEは描こうとしただろうか?抽象的で説得力の無い歌詞、さり気ないエフェクト、適度といったリズム、微分すればどれもこれも物足りないパーツだらけである。個人的には、最もハイライトと思われる「Glare」のサビですら、他のバンドなら高らかに謳うであろう意味性を避け、曖昧なままの表現に終始している。
 一事が万事、この調子であって、浄化を直ぐに求めるのであれば、この作品には失望しか感じないだろう。では、何を描きたかったのだろう。声明・主張の発表ではなく、個々の視覚の覚醒ではないだろうか。うたを触媒とする像の喚起、それを目指すが故に、歌詞・音はイメージをつなぐだけの作業にすぎない。『Sing』は、即効的な高揚を欲しがる者にとっては歪んだ作品である。そして、その歪みが他のバンドとの違いを、今まで以上に浮かび上がらせる。
 だが、そのメッセージ性の希薄さはバンドにどこまで影響を与えているのだろうか?10年以上も一緒に演奏した仲間でありながら、人間関係はどこかビジネスライクに見える。当初は「また始まるために」「超える」というタイトルに瑞々しさを感じたのだが、今ではそういうタイトルをつけなければならない程、バンドで作るものに対して目標がないのかとも邪推させる。過去の作品『Circulator』には攻撃的なものを感じたし、『another sky』も終息感は無かった。以後の作品からは充実感を感じたが、今作では不自然なほどの自然体が強いように思う。これは、ただの杞憂であって欲しい。

*1:自分の先輩でそういう事言う人がいて、イラッとした。知人だろうが、そこは別だ