大阪の思い出

大阪に住んでいたことがある。梅田の第一〜第三ビルのたたずまいが好きだった。日曜のそこは、全然人がいなくて信長書店には結構寄った。上本町や千里中央、京橋や日本橋駅のたたずまいが好きだった。私鉄やJRや地下鉄、全部乗って色んなとこ行った。阪堺線にだけ乗れていないことを思い出した。片町線で降りる駅を寝過ごして、奈良に入ってから起きた時は、何が起こったのかが全く理解できなかった。長堀が注目され始めた時期だった。行くレコ屋は、梅田のマルビルのタワレコか、なんばのOPAのHMVだった。門真、枚方、八尾、河内長野、高槻に遊びに行ったりしてた。先輩のおばあちゃんの家に入って、お茶を頂いた。確か、高槻だった。802が好きだった。鶴見緑地線のひんやりした雰囲気が好きだった。谷町線御堂筋線の雰囲気も、捨て難い。神戸や京都にも、何回か行った。京阪電車の色が好きだった。阪急の特急の速さと安さ、座席の雰囲気が好きだった。近鉄の特急で名古屋に行った時、車内の冷房が効きすぎてて、風邪引きそうになった。名古屋での近鉄の行き止まり感に、ちょっと感動した。梅田に新幹線の駅があると勘違いしてて、30分くらい駅中をウロウロしてた。昼間に大阪駅付近で偶然ジェットケリーってバンドの生演奏を見て感動して、CDを探したけど無かった。東・西梅田が、理解できなかった。そして、阪急のバーゲンに行ってTシャツを買い、未だに着ている。どこのライブハウスにも結局行かなくて、人と会ってひたすら飲んで食ってた。京橋のシャトーなんとかのCMが好きだった。その夜、スカバンドが演奏してたが名前を聞きそびれた。桜ノ宮のラブホで「赤毛のケリー」のプロモを見てしまい、あまりの寂しさに気分が盛り上がらなかった。当時住んでたとこをググって見たけど、あのコンビニはつぶれていたようだった。ごみ捨てるとき、まだ懐かしの黒ゴミ袋が使えてた事に苦笑した。新喜劇を一回も見に行けなかった。大阪で初めて見た芸能人が、島木譲二だった。サンテレビも、まったりしてて好きだった。MBSとABCを結構見てたと思う。『ワンダフル』や『Pooh!』が放映されておらず、白石美帆が見れなくてガッカリした覚えがある。シャンプーハットが、好きだった。ケンドーコバヤシは、まだまだ若手だった。出始めの熊田曜子は、何故かお高くとまったキャラ*1だった。その後、全国区になった時、キャラの変貌にビックリした。よく行った王将のランチは、お得だった。802派だった。そこで流れてたリバティーンズやロッキングタイムの良さが、最初は分からずに流れる度に、イラッとしてた。Rossoの『シャロン』を運転中に聴き、阪神高速を半泣きで走った。車で走ってて、結構道を譲ってもらった。今思えば、自分の運転マナーの方が大阪の人よりも遥かに悪かったような気がする。大阪の新星堂で、オアシスの海賊版を偶然買った。色んな人と遊んだ。色んなとこに連れて行ってもらった。『お前、標準語喋るな』と、アクセントでよくいじられた。酔っ払って連れて行ってもらったヘルスの場所が、どうしても思い出せない。梅田付近だったように思う。東京よりも、断然大阪派だ。東京のラッシュに発狂しそうになるが、大阪のはなんか許せる。大阪のカオスな感じが好きだった。
引っ越してから、連絡が徐々に取れなくなった。連絡先が分からなくなった。あの頃の皆は、元気だろうか?
『自分、オチはなんやねん』と突っ込まれることが多かった。今も全然変わっていない。そう、この話にオチは無い。

*1:深夜番組で「私の胸は綺麗です」と自信まんまんに答えてた。