親父はスーパーマリオが好きだった

「わが父 若山富三郎」より。勝新の息子と若山の息子さん同士の対談で垣間見える、若山富三郎氏の意外な素顔、それに付き合わされた息子さんは正座してゲームの相手をしていた。若山企画の社員全員が(多分強制)参加の、ファミコン大会まであった。「かならず花火を上げて、何面まで生きていたら賞金」という「特別なローカルルール」で、実は賭けマリオだったという抱腹絶倒な逸話。あまりにもハマリすぎた若山氏は腱鞘炎になったが、それにも拘らず黙々と一人でやり続け、「マリオ2」が出たときにはズル休みをしてまでクリアしようとしていた。